「運命の女」に魅入られてしまったなら、地獄に堕ちるのか、それとも遙か上空に昇天するのか?
【第8回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■雲のなかの美女、羽毛のなかの美女、それが極楽に見えるのはワケがあった!
「雲」。筆者などは「雲」と聞くとジャンゴ・ラインハルトの「ヌアージュ(Nuages)」を一番に思い起こす。18歳のときにこのロマ(ジプシー)出身のジャズ・ギタリストの名曲を聴いて、ロックを捨てマヌーシュ・ジャズのバンドを結成したものだ。ぜひ、Nuagesを検索して聴いてみてください。
そして雲をテーマにした最も印象深いジャケがケン・グリフィンの「LOST IN A CLOUD」。綿を雲のようにして撮影したものの、いまひとつ雲っぽさが出せず、クレパスで雲の線を描いているところがご愛敬。
タイトルは「夢中になってぼーっとしている」というような意味で、何にか? といえば写真のような美女を、ということだろう。これは1曲目の「I’Ⅿ LOST IN THE CLOUDS」からのもので演奏者ケン・グリフィンのオリジナル曲。
そしてこのジャケ、左下の雲を目指すロケットのような、でもジェットでもなく、ただの爆弾を背負った危険な男こそ、美女に夢中になって我を忘れた(lost in a cloudな)主人公である。
これまたファム・ファタールものか!? まったく男の哀れさときたら! と筆者は我が身を重ねる。
そしてこのロケット爆弾男もまた、屹立した男根そのものであるのは、一目でわかるとおり。連載第4回で、美女ジャケにおける女性器のメタファーについて書いたが、雲のなかの美女の、その雲そのものがここでは女性器ではないか?
天空に浮かぶ女性器。ああ、もし浮遊ものジャケの裏にそんなメタファーがあったのだとしたら……。天空こそはまさに極楽で、なぜ美女ジャケにもっと浮遊ものがなかったのか? と不思議に思う。
ちなみにこの人気があったわけでも売れたわけでもない、いまではレア盤扱いされそうな「Lost in a cloud」の7inchシングルがオーストラリアでリリースされたとき、ジャケは同じテーマの別写真に変わった。
モデルも別人なので、新たに撮影されたのだろうか。よりヌーディになり、リアルになったが、美女ジャケとはそもそも妄想のための「取りつくろい」のようなものと思っている身には、下手なクレパス雲とロケット男のほうが、興趣を感じたものだ。
はっきりと浮遊とか天空を指し示しているものではないが、ポール・ウェストンの「floatin' like a feather」は、羽毛に乗った美女なのだから、浮遊ものと言ってよいだろう。
どうにもエロ目線から抜けられない筆者から見れば、当然のようにこの羽毛は女性器であり、そこに乗ったネグリジェ姿の、いわば半ヌードの女性とは、ほとんど四文字の淫語に近い。
ああ、こんな美しい写真を見ながらも……。
まあ、それを下品とする人が多数だとはわかっているが、リアルにというよりも「観念的」に性を目指した視線なのだから、なんか無色、脱臭された鉱物的なエロとでも思っていただければと思う。
この連載をエロ目線で、などという編集側の要請など何もないのだが、本(『美女ジャケの誘惑』)に書ききれなかったことを掘り下げて書いていくと、なぜかエロな視線にばかりいってしまう。業が深い、とはこういうことなのだろうか?
過日、イベントで「長澤さんの集めてきたものは、どれもオシャレですよね~」と言われたが、なんとなく世の中には、オシャレはエロにはつながらなく、サブカルでリアルなものこそエロの本道、あるいは王道という観念があるように思う。
それはどうでもいいのだが、オシャレといわれるようなもののなかに「隠されたエロ」を見出すほうが、楽しくないですか?
オシャレというなら、ということで最後にほんとうに飛行機に乗って天空に上る、極めつきオシャレなジャケを。アルデマーロ・ロメロの「Flight to Romance」は、いわゆる「エアラインもの」好きには堪らない一枚だ。タラップを降りる美女を見送る機長。
そう、天空に上るような美女を「もの」にするには、飛行機くらい操縦できないとね……などという馬鹿なことを考えたりするから、冒頭に書いたように「性格の悪い美女と深みにハマって堕ちていく恋愛」をしてしまうのだ。だって、なにもかもが無理筋なのだから。
やはり天上を夢見つつ、地獄に堕ちるしかないか。美女ジャケ収集だけは手を出さないようにと、最後にご忠告申し上げます。
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